「~しなきゃ」に凝り固まった心が解放されるまで|病が教えてくれたこと
「死なないけれど、死ぬほど辛い」アトピー性皮膚炎――。繰り返す症状に苦しみつつも前を向き続けた、読者のちさこさんが、32年にわたる心の変遷を語ります。
目次
インタビューに答えてくれたのは:ちさこさん
からだにいいこと読者の中には、「病がきっかけで健康と向き合うようになった」という女性がたくさんいらっしゃいます。そんなご自身の闘病体験をお話しいただく、新連載がスタート。今回、インタビューに答えてくれたのは、読者のちさこさんです。
高校までは、薬でコントロールできていた
ちさこさんが、アトピー性皮膚炎を発症したのは3歳ごろ。ステロイド薬(塗り薬※)で症状を抑えていた高校時代までは、さほど悩むことはなかった、と振り返ります。
「気を付けたことと言えば、石油系の繊維や洗剤や、食品添加物を避ける程度。通院もしていたはずですが、あまり記憶にありません。私自身が、それほど辛さを感じていなかったからでしょう。あのころは、後々の苦しみをまったく予想していませんでした」
※以下、文中の「ステロイド」は塗り薬のことです。
ストレスの後、激しい症状が出るように
はじめての逆境は、大学入学の後。受験のストレスから解放されたと同時に、アトピーが爆発しました。ステロイド薬が効かない状態に陥り、ちさこさんは「自力で何とかしよう」と思い立ちます。
「今とは違うやり方を自分で見つけ出さなくては、と真剣に考えました。そこで通院先を漢方の医院に替え、長年使ってきたステロイドをストップしました。漢方薬に切り替えた結果かどうかはわからないのですが、このときの症状は半年ほどで鎮静化。
二度目は就職の直前でした。父の他界から、しばらくたったころです。私のアトピーはストレスの影響で出やすくなるのですが、辛いことの最中ではなく、『後』に出るんです。渦中にいる間は、気が張っているからかもしれません。
でも就職後は、ストレスのただ中で症状が悪化。環境の激変や多忙さのなかで、精神的にも身体的にもみるみる不調になり、1年ほどで退職しました」
様々な療法を試し、往復2時間半かけて温泉通いも
退職した2010年からは、皮膚科に通わずに、自分でさらに幅広い療法に挑戦。症状が出ていても、気持ちは希望に満ちていたそう。
「食事療法としてマクロビオティックを始めて、手ごたえを感じたときは嬉しかったですね。一時的に症状が悪化する『好転反応』さえも、回復の兆しだと思うと『いとおしい』と思えるんです。
弾みがついて、ますます果敢に挑戦しました。鍼灸院通い、ホメオパシー、波動水、そして往復2時間半かけて、月数回の温泉通い。
そこには私のほかにもアトピーの方が何人か通っていらして、よく『アトピーあるある』を分かち合ったものです。
皮膚が細かくひび割れ、鱗のようにはがれること。滲出液(しんしゅつえき)が出て、服にべったりつくこと。脱ぐとき皮膚ごとバリバリはがれて痛いこと…」
「――そう、本当は『あるある』なんてのんきに言えないくらい、辛い症状です。
でも私は、とことん前向きでした。『療法のどれかがきっと効いて、その後はずっと発症しないはず』と思っていたのです。実際、2011年には完全に回復。もうこれで大丈夫!――と、信じていました」
2015年、最大の「爆発」に打ちのめされる
すべて順調に思えた2015年初頭、またしても異変が。
「鎖骨の間に『何か出てきた?』と感じたとたん、対処する間もなくみるみる悪化。これまでで最大の爆発です。夜は痛みとかゆみで眠れず、滲出液で布団にカビが生えました。体の辛さと、『治ったはずなのに』という心のダメージで、打ちのめされました。
当時の仕事は接客業。でも、とても顔なんか見せられない。それどころか、はがれ落ちた皮膚のかけらで、私のいた場所が汚れるのです。耐えきれずに再び退職し、知り合いがいない町に引っ越して、一人暮らしを始めました。
同時に、久々に皮膚科を受診しました。『ステロイドを使いたくない』と考える私のような患者も診てくれる先生を見つけて、通院を再開。それ以外は、ずっと家に居ました。
とはいえ、家事さえままならない状況。体を伸ばすと皮膚が割れて痛むし、夏でも寒くてストーブの前から動けない。体温調節が効かなくなるのも、アトピーの症状の一つなんだと思います。当時を振り返ると、ただひたすら、じっと耐えるのみの毎日だった気がします。
そんな中、母が遠い道のりを電車にのって、世話をしに通ってきてくれました。窓から玄関に向かう母が見えると、いつもホッとしたのを覚えています」
いつしか自分を縛っていた「こだわり」
一番つらい時期を支えてくれたのは家族だった、と振り返るちさこさん。
「母の支えに加え、7つ上の姉の存在も心強いものでした。姉は成人後にアトピーを経験したことがあり、辛さを分かりあえるんです。
ピーク時は私より重症でしたが、2015年当時はすでに完治。そんな姉の『絶対良くなるよ!』という言葉、そして母の『絶対大丈夫!』という励ましに、どれほど勇気づけられたかわかりません。
ところが一方で、家族の意見にそっぽを向いてしまうこともありました。
というのも、当時の私は『○○しなきゃ』と『○○しちゃダメ』だらけになっていたのです。食事療法のルールは絶対で、動物性も添加物も一切ダメ。そして、ステロイドは何があっても使わないと決めていました。
『こだわり過ぎてない?』と指摘されても聞く耳持たず、といった調子でした」
凝り固まった心がほぐれた、恋人の存在
その後は軽減と深刻化を繰り返し、軽減期にあった2017年に、現在の伴侶となる男性と出会います。
「頑固な私とは対照的に、彼はとてもおおらか。その影響を受けて、『~しなきゃいけない』の束縛から徐々に解放されました。
もっとも大きかったのは、ステロイドの再開です。ここはギリギリまで迷いました。症状には疲れ果てていたけれど、長年否定してきた薬を使うなんて、『負け』のような気がしていたのです。そんな私の意地をやわらげ、背中を押してくれたのが彼でした。
2015年から通ってきた病院に相談し、ついにステロイドを再開。効果は絶大で、一気に楽になりました。このまま治るかも……と思いきや、1年ほど経つとやはり効かなくなって、またまたガッカリ。
でも、『どん底』には落ちませんでした。ステロイドとの適度な距離感が、やっとわかったからです。
私の場合は、ステロイドに限界はある。しかも辞めた後はリバウンドでひどい状態になる。それでも回復を待てばやがて落ち着いてくる――そんな推移がつかめてきました。
以降、ステロイドは私にとって『お守り』。よほどのことがない限り使わない、よほどのときは使う。使う選択肢も、使わない選択肢もあるんだと気づいて、気が楽になりました」
「普通の生活」を楽しめる幸せがやってきた
心の縛りを解くのと呼応するかのように、症状も軽くなっていきました。
「2019年の秋、ステロイドを完全にストップ。やはり彼が――そのときはもう『夫』になっていましたが『気楽にいこう』と言ってくれて、思い切りがつきました。
辞めた直後のリバウンドは厳しかったですが、その後は症状があまり気にならない程度にまで回復しました。現在は、通院しなくてもおおむね落ち着いた状態です。
今は、『ごく普通のこと』がとても幸せ。鏡を見るのが怖くないし、人と眼を合わせられるし、背筋を伸ばしても痛くないし、皮膚のかけらが肩に散るのを心配せずに濃い色の服も着られる。そんなことが、とてもありがたいです。
元は運動嫌いな私でしたが、プールにも通い始めました。筋肉が極端に少ないのは良くないと思い、水中ウォーキングに励んでいます。汗をかけたら毒素もスムーズに出て、肌にもさらに好影響かも、と思っています」
今、苦しみの中にある人と「つながりたい」
回復した今も、そして苦しみの真っただ中でさえ、ちさこさんには一貫して、前を向こうという気持ちがありました。
「この世には、もっとつらい病気もありますよね。私が苦しんでいるのはアトピーという症状だけなのだから、このくらいでへこたれちゃダメだ、と思っていました。その思いは、今も同じです。
一方で、アトピーがどれほど辛いかも知っています。命にかかわる病気ではないけれど、アトピーで『死にたい』とツイートする人がいる。それくらい、アトピーは苛酷です。
だから、同じ苦境に今苦しむ人と、もっとつながりたいと思っています。ご本人はもちろん、支える家族の方々とも。
色々な人の話を聞き、体験を共有しあい、励まし合いたい気持ちです。
ただ、すべての人が同じ言葉に励まされるとは限りません。たとえば家族の『絶対大丈夫!』は、私にとって絶大な励ましで、根拠は無くとも、耐え抜く力の源になりました。でも、それはあくまで私の場合です。
一人ひとり、置かれた状況も違うし、捉え方も異なります。励ましの言葉がプレッシャーになったり、傷ついたりすることもあるでしょう。
その中で、皆に共通するのは、『何か信じるものがあれば、人は強くなれるのかもしれない』ということです。私で言えば、家族の言葉や、その時信じていた療法です。
そんな支えが――治療方法であれ言葉であれ、今暗闇の中にいる方がとっての『何か』が、きっと見つかりますように。そして、その先に出口が見つかりますように。そう心から願っています。」
※このインタビューは、あくまでちさこさんご本人の闘病体験をもとに作成しています。治療法や副作用などには個人差があるため、医療情報に関しては主治医に相談してください。記事の内容は取材時(2020年11月)時点のものです。
取材・文/林 加愛