50歳で初挑戦したボディメイク。苦悩の医師生活 第二の人生へ┃ホームドクター(9)
普段なかなか知ることができないドクターの素顔に迫る連載の第9回。医師は自らが望んだ職業ではなかったという佐野倫代先生。50歳という年齢を迎え、初めて自分の人生と向き合いつかんだものとは―。
「からだにいいことホームドクター」とは?
「この健康法は自分に合っているのかな」「どうしてこんな不調が起きるんだろう」など、自分ではわからないけれど病院に行くほどではない“セルフケア以上、診療未満”のお悩みを、各科の名医と一緒に解決していく、健康応援プロジェクトです。
目次
目指す場所を見つけて歯車が噛み合うと、結果はついてくる
佐野先生が産婦人科医になったきっかけを教えてください
佐野先生 実家が産婦人科の病院でした。産婦人科医の父をはじめ親戚縁者は医療従事者が多く、私には医師以外の選択肢がありませんでした。体を動かすことが好きでダンサーに憧れていましたが、当時の私にとって、周囲の期待に反して自分の思いを貫くのは険しい道。期待に応えるのが褒められることでしたし、ラクだったんです。産婦人科に決めたのも、実家を継ぐ可能性や周囲の期待を考慮した結果です。大学卒業後に勤務医となりましたが、月の半分以上は当直で、緊急手術があればすぐ呼び出されるハードな日常。ほぼうつ状態で、心も体も崩壊寸前でした。限界を感じていたころ、闘病しながら医師を続ける父のサポートをするため実家を手伝うように。父はその後他界し、院長を引き継ぎました。
医師でありながら、なぜボディメイクの世界に飛び込んだのですか
佐野先生 院長になっても人の顔色をうかがう生き方は変わらず、モヤモヤしたまま50歳が目前に迫ってきました。ふと「自分はこれまでの人生を自分のために生きてきただろうか……」と。とはいえ、何が自分のための人生なのかわからなかった私は、日本一になれる挑戦をしてみようと思ったんです。理想的な身体を目指すボディメイクの大会なら、死ぬ気でがんばれば優勝できるかもしれないと。そして「ベストボディ・ジャパン」への出場を決意。それが、2018年3月3日のこと。私の人生の転機となった日です。そこから、体力維持のために40代から続けていたパーソナルトレーニングを、ボディメイク向けのメニューに変更。半年後に地方大会で優勝し、初挑戦の全国大会でグランプリを獲得しました。目指す場所を見つけて歯車が噛み合うと、結果はついてくるんですね。その後、スタッフの高齢化などの事情が重なり、2021年3月にクリニックをいったん休院させました。
これからの人生を輝かせたい女性に、メッセージをいただけますか?
佐野先生 世の中には人の夢を否定し、潰そうとする人がいるものです。でも「自分なんか」と卑下せず、「自分だって!」と挑戦してみてほしいと思います。そうすると自分を磨く仲間が自然と集まって、さらにステップアップできると実感しています。そして、女性の1つの壁になりがちな更年期世代の方へ。人生100年時代の今、第二の人生を大切にするためにも、体質的に問題がない方は「ホルモン補充療法」を受けることをおすすめします。ぜひ、私と一緒に“動いたきり老人”を目指してほしいです。
先生のベストボディ
「健康美」「バランスの取れたスタイル」「ポージング」など、6つの項目で競われるベストボディジャパン部門。均整の取れた美しき肉体は、トレーニングの賜物。
取材・文/江山 彩 協力/メディコレ (からだにいいこと2022年8月号より)
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